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2011年10月

10月。

シロです。あるいは、ましろです。

3年前、この場所にブログを書いてて、結局続かなかったわけですが
もうあの頃のようには忙しくないし、
また過去ログを消してやり直しをはかろうと思います。よろしく。


長いつきあいの方には「またかよ!」と思われるかも知れませんが
私にとって、年末年始以上に重要な1年の区切りが10月末です。
ある友人が亡くなって5年。

まだつながりのあった時分に彼が
「中越地震のボランティアに行ったんだよ」とメールをよこさなければ
私は9月に釜石に行くこともなかったでしょうし

彼が亡くならなければ
そこはかとない喪失感を埋めるために、そのとき偶然出会っていた
コミュニティFMのボランティアに熱中することもなかったし、
そうであれば今の人間関係の90%には出会ってなかったなぁと、思います。

10月の声をきくと涙が出るくらいの悲しい気持ちも
昨年あたりからは和らいで
今年は、思い出すことも少なくなって、
「生きていく」とはこういうことなのかもしれないとぼんやりと考えています。

忘れていく、というよりは、消化していく。
彼の死を消化して、こころに取り込んで、今の私がある。

もちろん、これまでもこの先も続くたくさんの出来事もたくさんの言葉も、
思い出せなくても忘れないで、のみこんで、生きていく。

(ん?そんな歌詞のうたがあったような…)

東日本大震災で、何人もの身近な人の死に直面した、多くの方たちを思えば
たった一人、年に数通メールのやりとりをするだけになってた友人が亡くなったからと言って
5年も感傷を引っ張る自分はちょっと格好悪いなあ、と思いながらも。

そういう存在があって、私がいる。
自分の中の、自分でない存在を。
周りのみんなにも、そういう存在があるのかも知れないということを。

年に1回、ゆっくり考える。
私にとって、それが10月。

区切りの10月も終わるので
twitterの140文字ではつぶやけない
震災のこと、原発のこと、そしてねおすさんにお世話になった釜石のことを
そろそろ書いておきたいなと思います。
(その前に議事録かけよ!という声が脳内で聞こえる…)

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